「物語の力を信じている」池松壮亮と、宮藤官九郎が新たに息を吹き込んだ人間ドラマ『季節のない街』の巡り合い
長年に渡り宮藤官九郎が温めてきた企画は、山本周五郎の小説『季節のない街』の映像化だ。黒澤 明監督が映画化した『どですかでん』で広く知られるこの物語について宮藤はこうコメントしている。「安易で独りよがりなオマージュになってはいけない。そこで舞台を仮設住宅に置き換え、黒澤版では割愛されていた2つのエピソード『半助と猫』『親おもい』を復活させ、それぞれの主人公である半助とタツヤ、さらに『がんもどき』に登場する酒屋の青年オカベを加え、3人の若者の視点で『街』を描くことで、この難関をクリアしようと考えました」。そして主人公については、「半助には池松壮亮くん。一方的にファンなので、逆に声をかけづらい存在でしたが、一緒にやるならこれだ!という強い思いが届いたのでしょうか。絶望と悲しみを内に秘めつつ、決して重くなりすぎず、時に観客の目となり、街の変人達を絶妙な距離感で見守る半助。彼のバランス感覚こそ、このドラマの要だったと思います」と。
宮藤が絶賛するのも頷ける池松の半助は、「こんな青年が近所にいたらいいな」と思うような、気さくで親しみやすい青年だ。池松本人から滲み出ていると勝手ながら思う優しさと温かさを土台に、若者ならではの弱さや甘えがあり、蓋をしてきた過去と向き合う姿では迷いを見せていた。物語の舞台は、仮設住宅(“ナニ”で被災した人々が、「助け、助けられ、持ちつ、持たれつ」の精神でおおらかに暮らしている)が集まる小さな街。そこには、見えない電車を運転する六ちゃん(濱田 岳)、兄と比較されてばかりで母親になかなか認めてもらえない半助の友人・タツヤ(仲野太賀)、「いつか住む家」を夢想するホームレスの親子(又吉直樹、大沢一菜)など個性豊かな人々が逞しく生きており、彼らとの触れ合いを通じ、半助は明日の自分を見つけていく。現実の厳しさを笑い飛ばす街の人々のユーモラスで可笑しなやりとりは宮藤の真骨頂で、悲しいのに何だか笑えてしまう、けれど笑い終わった後には何かが残る。残ったものは観た人できっと違うだろうし、「見方は人それぞれでいいよ」と言ってくれる懐の深さがこの作品にはある。