CULTURE

ラヴ・タンバリンズのデビューから30周年。Ellieが3年ぶりのニュー・アルバムをリリース

OCT. 30 2023, 11:00AM

対話/山崎二郎 構成/吉里颯洋

1993年、インディーズ・レーベル〈クルーエル・レコーズ〉からリリースされた1枚のシングルに受けた衝撃は今も忘れられない。これ以上ないハッピーな表情をした若いカップルがジャケットに写る『Cherish Our Love』。どこまでもミドル&メロウなスウィートなソウル・サウンド。英語で歌われる愛の讃歌。当時、夫婦だったヴォーカルのEllieとギターの斎藤圭市を始め、5人編成のラヴ・タンバリンズの登場だ。じわりじわりと人気が人気を呼び、1995年に満を時してリリースされた1stアルバム『Alive』はインディーズとしては奇跡の10万枚のセールスを記録。〈渋谷公会堂(現・LINE CUBE SHIBUYA)〉公演も成功と、次なるステップはメジャーからのリリースかと思われたが、あっさりと解散。その後、ソロとなったEllieは1996年にアルバム『Bitch in Zion』でソロ・デビュー。1999年、藤原ヒロシとのユニット、ELI+HIROSHI名義でアルバム『(Sun is Mellow Like A) Tangerine』をリリース。2018年、11年ぶりの初の日本語楽曲収録の『Stay Gold』、2020年に『NEO BITCHIZM』とアルバムをリリース。そして、ラヴ・タンバリンズのデビューから30周年の今年、自らクラウド・ファンディングをおこない、プロデューサーにSWING-Oを迎えて制作されたニュー・アルバム『90s Baby』を11月15日にリリースする。前作と一転して、ラヴ・ソング集となった今作先行シングル「キミに夢中」を一聴すれば分かる。11月4日には渋谷〈Jz Brat SOUND OF TOKYO〉にて、『Ellie 30th Anniversary Live “キミに夢中”』を開催。久々に会うのに、時間の流れを感じさせないオープン・マインドは、Ellieそのものだった。

私もいい歳だけど、やっぱりチャレンジしたい性格だから、今からでも日本語で歌詞を書いてみようって気持ちになって。自由に英語も混ぜていいし、インドネシア語を混ぜていいんじゃない?とか、何ならタイ語も入れちゃえ!みたいな(笑)。要は、歌詞を書くのに別にルールなんてないことに気が付いたのがアラフィフなんですよ

   バンドでのデビューからちょうど30年になりますが、ラヴ・タンバリンズ時代のことで印象に残っているのはどんなことですか?

Ellie 当時は専業主婦だったので、(オンオフ関係なく)ずっと主婦感覚なの。買い物に行った店先で、「これ、100円だわ」みたいなノリで生きていましたよね。だから、一言で言えば、メジャーには行けない性格っていうか(笑)。

   ラヴ・タンバリンズのヴォーカリストとしてはステージの内外でワイルドなこともやりつつ、常に主婦感覚をキープしていたとは驚きです(笑)。

Ellie (バンドがいくら売れようが)毎晩、家に帰れば、「なんか料理作って」とか言われる日常感覚のままでいられたのは、一緒に生活していた当時のパートナー、最初の旦那さんだった斎藤圭市がバンドのギタリストでもあったからで。彼は、一企業の正社員という立場もあって、ライヴもレコーディングも土日しかできないので、今思えば、すごくゆっくりしたオーガニックな活動だったのかなと思いますね(笑)。

   絶頂期でさえ、メンバーの誰もガツガツしていなかったのがラヴ・タンバリンズだったという(笑)。

Ellie 誰もお金儲けは考えてなかったから。だから良かったんでしょ。

   インディーズでそれだけ売れれば、当然、メジャー・レーベル各社からも引く手あまたで、「メジャー・デビューしませんか?」というオファーもたくさんありましたよね。にも関わらず、全部断ったのも有名な話で……。

Ellie 全部、オファーをお断りした理由は、私がメジャーをとても嫌っていたっていうことに尽きますね。(大資本を投じたプロモーションで音楽を売っていく、当時のメジャー・レーベルの)体質がとにかく気に入らなくて。他に趣味もない、何もない自分に、せめて音楽だけが私の好きなものとして存在しているのに、それまで奪われちゃうの?という危機感みたいな気持ちもあって。それまで大切にしてきた美しいものを壊されるのは耐えられないという気持ちから、オファーはすべてお断りしました。その時点で、シングルの「Cherish Our Love」(1993年)もアルバムの『Alive』(1995年)も売れていたし、〈渋谷公会堂(現・LINE CUBE SHIBUYA)〉でのライヴも実現したし、「これ以上、何が欲しいの?」と自問自答する部分もあって。もうそれでインディーズの完成形じゃん。例えばテレビに出ることすら眼中になかったし、私の中で有名になることが音楽と一緒にならなかったのね。

   メジャー契約の際、当時はよく「日本語で歌え」と言われた時代でしたが、10万枚を売り上げたアルバム『Alive』は全曲英語詞でしたよね。

Ellie まず、当時のシーンで、全曲英語詞のアルバムが売れることがあり得ないことで、1つひとつあり得ないことを実現してきて、もうこれ以上何やるの?となると、海外に行くぐらいしかないじゃん(笑)。

   今は小資本でも自分たちでレーベル立ち上げて、ネット経由でワールドワイドに楽曲を発信するとか当たり前の時代ですけど、当時はEllieさんの言っていることはなかなか理解されず、「メジャーに行けばもっと売れるのに、何で行かないの?」みたいなリアクションが大半だったのかなと……。

Ellie そうそう、みんな「?」だったし、それはうちのバンド・メンバーですら、「?」でした。一番身近にいた斎藤圭市ですら、「俺はメジャーに行きたい!」って言ったんだもん。

   それも自然ですよね(笑)。

Ellie 行きたいよね? (ミュージシャンになりたくて)岩手から出てきて、一旗あげたいよね。でもそれは、私の中の美意識としては違うなという気持ちがあって。

   今の時代って、サブスク経由で楽曲を世に出すことは容易くなったけど、売れたら儲かる状況ではないので、かつてと比べると若いミュージシャンも音楽で稼ぐって感覚が薄くなっていて。当時は200万枚とか300万枚とかめちゃくちゃ売れる曲もあったりで、音楽自体が大きい産業でしたよね。

Ellie そうだよね。当時の音楽って、大きい「産業」だったよね。今なら音楽は食えないものって分かっているから、仕事しながら音楽やっていることも負い目にならないじゃん。昔だったら、どんなに貧しくてもバイトなんかしない!みたいなミュージシャンがいたり(笑)。

   めちゃくちゃ売れているのに、1995年にいきなり解散。出したアルバムは『Alive』の1枚だけだったという……。

Ellie そうそう(笑)。『Alive』というアルバムを出す前から私は「このアルバム出したら解散ね。そのつもりで皆さんやってください。もう今までのノリじゃなくて、演奏に魂を吹き込んでくださいね」みたいなことをメンバーには言っていて。今考えると、「解散するから、最後は本気出してね!」みたいな脅しだよね(笑)。「ラヴ・タンバリンズを続けたかったら、いったん解散して、私以外のシンガーを立ててやればいい」とはメンバーには言いましたけど、結局、バンドは解散して。未だに思うけど、『Alive』を出して、これ以上もう(バンドとしては)成長がないなみたいなことを感じていて。自分の中ではもっとR&Bの方向に走りたいとか、(先々のヴィジョンが)いろいろあったので(そっちに進みたいと)。ちょうど、TLCとか、メアリー・J. ブライジとか出てきた時代で、よりブラックなテイストの音楽がやりたかったの。でも実際には、70年代ソウルとか求められて、それまで生音でやってきた人たちが急に打ち込みの世界に行くのはなかなかできない状況があって。ただ、サウンドは打ち込みなんだけど、当時、旬になってきたR&Bは、ヴォーカルが多重録音なのね。(音源をよく聴くと)もうものすごいヴォーカルの渦だから、ヴォーカリストとしてはそういう方向に行ってスキル・アップしたいみたいな気持ちになっていて。ただ、私の周りに同じ志向のシンガーさんも少なかったし、その後、3年ぐらい経ってから、ようやく宇多田ヒカルさんやMISIAさんが世に出てきたのが現実でしたから。

   今思えば、ソロ・シンガーとしてR&Bをやっていくのは数年早かったなと……。

Ellie 私もそう思うし、宇多田ヒカルさんたちが出てきて、やっとこの世の中が変わるのかな?みたいな気持ちでいたら……。

   それが爆発的に売れちゃったという。

Ellie 宇多田ヒカルさん、数百万枚とか、ものすごく売れたよね。

   これまでにない黒い感覚の曲がチャートを席巻したというか、ソウル、R&Bテイストの楽曲がこの国のメインのヒット・チャートで1位を取ったことで、時代が変わったんですよね。Ellieさんがやろうとしたことがちょっと早かったがゆえに、直接、恩恵には預かれなかったけれど。

Ellie ソロ1作目の『Bitch in Zion』(1996年)は、今聴いても全然駄目だと思うけど、当時は初めての挑戦で何がなんだか分からなくて作ったから、それにしちゃ頑張ったかな?ぐらいの感覚があって。今思えばよくやったなって思えるのは、(R&Bのマーケットもなく、それが分かるリスナーもいないので)伝わらないのに、需要もない中でのリリースだったから。アルバムを出した当時、みんなに「やっぱり、ラヴ・タンバリンズの頃の方が良かったよ」って散々言われ、「今回のアルバムは好きじゃない」って何回も言われたし。それでも、人間ってチャレンジしていかないとダメだと思うんだよね。やっぱり、人間は成長したり、自分をアップデートしたい生き物だと思うから、それをやり切った当時の自分には、「頑張ったね」と言ってあげたいなと思う。だって、今回のアルバムで言えば、ソロになって7枚目にして遂に、アルバム全曲の歌詞を日本語で書いているじゃん。『NEO BITCHIZM』(2020年)でも日本語詞を書いたし、その前に出した『Stay Gold』(2018年)で日本語で初めて歌詞を書いていて。今から5年前だから、48か49歳で初めて、日本語で歌詞を書いたんですよね。

   日本語詞にトライしたのは、どういう心境の変化で?

Ellie やっぱり宇多田ヒカルさんとか、バイリンガルなアーティストがメジャーにも増えてきて、英語の発音が上手で、みんなバイリンガルで(日本語と英語が混在した)作詞ができるじゃない? 彼女らは私より全然後輩だけど、逆に一生懸命、彼女らの音楽を聴いて、こんな感覚で日本語を捉えているんだっていうことに気が付いたのね。今まであった日本語の歌詞の「1つの音に1文字を乗せる」的なスタイルじゃなくなっていて、もっとグルーヴがあってシンコペーションもしているし、ものすごく進歩していて。宇多田ヒカルさんの「Automatic」なら、〈な、なかいめのベ、ルでじゅわき~をとったきみ〉みたいなフレージングにしてもいちいち新鮮で。若い人たちはすごく斬新な方法で、元来英語の(歌詞がフィットする)メロディー・ラインに日本語を当てて歌詞にしているんだろう?みたいな驚きがあって、ものすごく宇多田ヒカルさんの歌詞を研究しましたね。例えば、ONE OK ROCKを聴いていたら、ほとんど英語なのに、2行ぐらい日本語の歌詞が出てくるのね。「日本語の歌詞、2行ぐらいしかないじゃん!」とか思って、「あ、これでいいのか!」みたいな気付きがあって。だから私より若い世代の人に、「そんなの、こうやってぶち破っちゃえばいいんだよ」みたいに教えてもらったというか。今思えば、私の方が日本語だとこうだ、英語だとこうだみたいに、固定観念で思考が固まっていたのね。それを、そういう若い世代の人たちがそういう風に(バイリンガルかつフリースタイルな作詞を)やっているのは、そういう時代になったんだなと思って。それで私もいい歳だけど、やっぱりチャレンジしたい性格だから、今からでも日本語で歌詞を書いてみようって気持ちになって。自由に英語も混ぜていいし、インドネシア語を混ぜていいんじゃない?とか、何ならタイ語も入れちゃえ!みたいな(笑)。要は、歌詞を書くのに別にルールなんてないことに気がついたのがアラフィフなんですよ。

   ここに至るまでに、「なぜ、日本語でやらないんですか?」って散々言われてきた経緯がありましたよね。

Ellie そう。だから余計に意固地になって、今思えば頑固だったなって思いますよね。それでアラフィフになってようやく日本語で書いてみて、「ヤバ、あたし、日本語で書けるじゃん!やってみれば、面白いじゃん。こんな歌詞も書けるんだ」みたいになって、自分でびっくりしているの。

   今回、クラウド・ファンディングで、アルバムの制作資金を募りました。

Ellie 今年の2月からクラファンで資金集めをやりました。最初にプロデューサーのSWING-Oから、「制作予算が出ないから、まずはクラファンで資金集めをやらないか? せっかく作ったアルバムが世に出せなかったら、どうすんの?」みたいに言われたのがきっかけで、クラファンを始めて。予想以上のペースでどんどん投資額が増えて、みるみるうちに目標額を達成したのに、さらに集まってびっくりして。240万円ぐらいがリアルな目標金額だったけど、300万超えて、最終的に320万ぐらい集まったのね。目標額を無事に達成してアルバムが出せたから、本当に皆さんのお陰って感じですよね。

   ファンの皆さんがそれだけアルバムを待望していたってことじゃないですか?

Ellie そうそう。この結果には、ものすごく愛を感じましたね。

   ニュー・アルバムのタイトルはどういう経緯で決まった感じですか?

Ellie 『90s Baby』のネーミングの由来は、アルバム全体として、90年代を思わせるようなアレンジにしたくて、こうなりました。

   それはまた、どうして?

Ellie その世代が聴くんだろうって思って、何となく付けました。今、若い子たちのファッションを見ていると、90年代なんですよ。ヘソ出しに太めのパンツ、それに上げ底みたいな、完全に90年のスタイルなんだよね。だからそろそろそういうモードが戻ってきているので、90年代のサウンドにアプローチしてみようかと思って。プロデューサーのSWING-Oと「グラウンド・ビートってあったけどさ、日本人で作った人いないよね?」、「そう言われてみれば日本人でいないね。マキシ・プリーストとか、ああいうサウンドももう1回作ってみたい」とか、そんな感じで作ったんです。それと、今回、去年の4月頃から付き合い始めた彼氏もちょっと参加していて。彼氏の実家に遊びに行った時に、彼が適当に手癖で弾いていたフレーズを「そのまま弾いていて」って録音して、私がメロディーをバーっと吹き込んで、それで3曲ぐらい作ったんですよ。「おなかすいた」とかそういう感じで出来た曲なんですよね。その感じって、ラヴ・タンバリンズ以来だったの。圭市さんと暮らしていた6畳一間で、ギター弾いて、生活の中から音楽がポコンと生まれるみたいな……。音楽が本当に愛おしいものみたいな感じで、そういうふうに曲を書くのは、もう本当にそれ以来で。

   当時、取材した際、楽曲たちは自分がお腹を痛めて産んだ子供みたいだって言っていた記憶があって。

Ellie そうそう。で、子供と同じで、音楽も勝手に育ってくよね。女の人ってそういう聴き方が多いと思うんだけど、同じ曲をいつまでも聴いていて、歌詞も繰り返し読んでいるみたいな……。そういう風に、その人の中で思い出と共に楽曲が成長していくから、育っていくのは赤ちゃんみたいだなと思って。

   で、まさしく、『90s Baby』というアルバム・タイトルにされたと。

Ellie そうです。あの時代から、30年経ったしね。なんか、怖いね。だって、90’sに生まれた世代って、今30代前後ってことでしょ? 恐ろしい、時が経つのが早くて!

   ラヴ・タンバリンズがデビューしたのが1993年だから、ちょうど30周年のアニヴァーサリーになりますね。

Ellie 30周年盤! 前作の『NEO BITCHIZM』には、どちらかと言うとフェミニズム志向を強く出したいみたいなコンセプトがあったんですけど、今回はそういう毒を吐くようなテイストはなるべくやめて、それこそ初期に自分が書いていたラヴ・ソングをもう1回書きたい気持ちになって。『NEO BITCHIZM』にはラヴ・ソングが1曲もないから、ラヴ・ソングをもう1回作ってみたいっていうのもあって、ちょうど彼氏もいるし、嘘偽りなく書けるシチュエーションかなと。そもそもなんですけど、恋愛してないとラヴ・ソングは書けないので。

   キャリアがある人なら、イマジネーションの世界で手練手管でラヴ・ソングが書けるんでしょうけど、リアリティがないとグっと来ないじゃないですか?

Ellie そうそう。書けなくなっちゃうのよ、恋愛していないと。恋愛したから、嘘偽りなくラヴ・ソングが書けるなみたいな……。書くからには、嘘偽りなく書きたいのよ。やっぱり、(スキルで作風を使い分けるような)作詞家さんみたいには書けないし、自分の表現するものに何か混じっちゃうと、表現が微妙になっちゃうなと思って……。

   なので、リアルタイムの恋心がストレートに出ているのは、「キミに夢中」かなと。

Ellie (〈キミに夢中〉と歌って)もうそのまんま、恋心を歌にした感じで。だって、本当に、彼氏と海に行ったりしたから、〈泡立つ波打ち際ではしゃぐ歳じゃない いくつになっても恋はビギナー〉って歌詞が書けたのかなと(笑)。

   良いじゃないですか!(笑)。日本語でキャッチーなリリック、書けるじゃないですか?

Ellie 良いでしょう?(笑)。アラフィフになってきて、もう恋とかできないんだってなんか思っちゃったの。前作の『NEO BITCHIZM』の制作時には、女として何か変わってきて、何かもう1つ上の(女性ではない)何かになるのかな?みたいに思っていたんだけど、(久しぶりに彼氏ができると)なんだ、こんな歳でも恋愛ができるんだみたいな気持ちになれたりして。そういったことも、私にとっては、1つひとつ人生のチャレンジなんですよ。それがそのまま歌になっているって感じだよね。

   いや、実生活の恋愛が見事に作品に反映しましたよね。現在進行形で体験している恋愛のスィートネスが、こんなリアルなラヴに包まれたウォームなアルバムになって結実するとは素晴らしいなと。

Ellie やっぱり、若い頃のようなラヴにはならないだろうけど、なんか年齢重ねてからのラヴってすごくいい!

   すごくいい?

Ellie うん。お互いが落ち着いているから、喧嘩もしないし(笑)。この前も、すごく派手にすっ転んで怪我した時に「骨粗鬆症になったら大変だから、気を付けてね」みたいなそういう叱り方をしてくれて(笑)。

   単なるノロケ話じゃないですか?(笑)。

Ellie そう、ノロケです。でも基本、歌っているのはノロケだからね。ラヴ・タンバリンズの歌も、ただのノロケだから(笑)。

   いや、その恋は続いてほしいですね。来年の今頃、またインタヴューやったら、「もうラヴは卒業した。もう私にはラヴはない!」とか言って、また攻撃的な作風に戻るのは勘弁していただいて(笑)。

Ellie でも、今の心境としては、ラヴ・ソングもメッセージ・ソングも両方とも作っていきたいと思っていて。それがチャレンジだから……。

   そう考えれば、両方あった方がいいですね。

Ellie 両方あった方がいい。だって社会に不満がない訳でもないからね。不満が溜まっていく一方だからこそ、表現活動で発散してかないと。

   同じくラヴ・ソングでは、「マスク越しのキス」の歌詞、素晴らしいですね。マスクが象徴的な言葉として、恋人との距離感みたいなものが絶妙に歌われていて。

Ellie 本当? ありがとうございます。別に「反マスク」とかじゃないよ(笑)。コロナ禍の最中、彼氏とスマホでよくヴィデオ・チャットしていて、なんかこれ歌になるなと思って。「気持ちは繋がっているのに、なかなか逢えないコロナ禍」みたいなシチュエーションを歌にしたらいいかなって。そういう歌は、ピークは過ぎてもコロナがまだ存在している今しか歌えないもんね。

『90s Baby』
11月15日発売
〈Happiness Records〉

INFORMATION OF Ellie

11月4日に〈JZ Brat SOUND OF TOKYO〉にて「Ellie 30th Anniversary Live “キミに夢中”」が開催。2024年1月13日には、「晴れたら空に豆まいて」も開催決定!

 

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