『繕い裁つ人』、『幼な子われらに生まれ』、『Red』などで知られる三島有紀子監督が、長編10作目となる映画『一月の声に歓びを刻め』を完成させた。本作は三島自身が47年にも渡って向き合い続けてきた事件がモチーフになっており、娘のれいこを亡くした喪失感を拭えないマキ(カルーセル麻紀)、事故で失った妻への後悔を抱え、一人娘とも真正面から対峙できずにいる誠(哀川 翔)、過去のトラウマにより愛する人の身体に触れることができないれいこ(前田敦子)と、罪の意識に苛まれた人々の心の葛藤と赦しを描いている。
哀川がメイン・キャストを務めた第2章「八丈島」は、江戸時代に流刑地として約1800人の罪人が流されていた八丈島が舞台だ。映し出されるのは牛飼いを生業にする誠の静かな日々 しかし5年ぶりに再会した娘の結婚と妊娠が分かったことで、不器用に縫い付けた誠の心の傷口は少しずつ開いていくのだった。
本作は洞爺湖、八丈島、大阪・堂島と3つの場所を舞台に、心に傷を負いながらも現実と向き合う人々を描いていますが、完成作をご覧になって哀川さんの中に強く宿った感情はどのようなものでしたか?
哀川 感情か。マキ、誠、れいこ、それぞれ環境は違うものの、自分も娘を持つ親の立場ですから、なかなか消化するのは難しかったです。第2章の「八丈島」では親子の絆と別れを肌で感じながら演じたわけですが、別れは新しい旅立ちでもあるので、1人の人間として前向きなスタートを切れたような晴れやかな感覚にもなりました。
かねてから哀川さんの姿を拝見してきた身としては、静の状態でも熱を放出し続けている方という印象を哀川さんに抱いていたんです。だけど今回演じた誠は、威厳を残しながらも内に燃える炎が少し弱くなったような、良い意味でのくたびれ感と言うか、背景を深く想像したくなる哀愁や人間くささが滲んでいました。
哀川 妻を亡くし娘は出て行ってしまい、仲間はいるけど1人で生きていかなければいけない。苦しみながらも「人として強くいなければ」と奮い立たせる想いが、役に乗っかってきたら良いなと思っていました。人それぞれ気持ちは違えど、誠が置かれた境遇というのは親ならば誰でも経験するような身近なことでもあるからね。でも、“通常”を演じるって難しいですよ。今まではどちらかと言ったら、非現実的な役を演じることの方が多かったから。それはもう、自分の想いと監督の想いで想像しながら作り上げていくしかないし、「こうあれば美学だな」という部分を追求していけば良くて。日常に近付ける、通常を演じていくことの方が、芝居としては断然難しい。だけど、意識せずとも出てくるものもあるんです。「八丈島」の最後のシーンなんかは、誠はまだ自分の腹の中に落としきれていない部分が微かに残っているわけですよね。けれど自分の中では51対49くらいの勝負で、勝ち負けをつけていかなくちゃいけない。腑に落ちなくても、腹には落としていく必要がある。それが日常だし、日頃自分たちは選択肢の中で生きているんだなと感じます。例え上手いこといかなかったとしても、「自分で選択したことだから」と思えば少しは気が楽になる気はしますよね。
誠が車を運転するシーンが印象的だったのですが 娘の海(松本妃代)が幼少期に話していた言葉をつぶやきながら愛おしそうに懐古する誠と、帰省した海の荷物から離婚届を見つけてしまい、湧き上がる怒りと共にハンドルを握る誠とでは瞳の強さや鋭さが全く異なりました。
哀川 やっぱりそれは想いじゃないかな。想いで目つきは変わっていくから。こういう目をしよう、ああいう目をしようって意識は1つもなくて、感情がどうあるかによって変わっていくものだと思います。昔は「殺し屋のような目だな」ってしょっちゅう言われましたけど(笑)、誰も本物の殺し屋を見たことがないはずなのにそう言うってことは、そうした緊迫感や空気感を醸し出していたんだろうし、誠の中にも闘争本能みたいな、眠っている部分があったんでしょう。だけど娘を思いやる時には、そのような感情は1つも湧かない。その差が自然と目つきにも表れていたのかなとは思いますけどね。
自分語りをしない誠ゆえに、そうしたシーンの端々から感じ取れるものがたくさんありました。カメラに背を向けてタバコを吸うシーンもそうで。ゆったりとした所作でタバコを口に運び、火を点ける。10年ぶりのタバコを味わう姿はそれまで抑え込んできたものを少しずつほぐしていくようで、きっと誠は色々なものを諦めたり、他の人には計り知れないほどの痛みに耐え忍んで生きてきたのかなと。彼の心の浄化みたいなものは一体どこにあったのだろう?と思ってしまったんですが、哀川さんはどう感じますか?
哀川 朝起きて、牛に対する作業をして、夜眠る。牛飼いとしての日常のルーティンみたいなものが浄化になっていたんじゃないかな。
特別なことではなく、ただ日々を生きることが。
哀川 そう、日々を生きることが誠にとっての浄化であり、自分を保てていた感じがするんですよね。俺も日頃のルーティンがあるんだけど、そこが狂うと何かおかしいなと感じてしまうし、彼の気持ちは良く分かります。トラックに荷物を入れる動き1つにしてもおそらくルーティンがあって、最後にこれを入れるってところまで形が決まっているんじゃないかな。
昨年5月に、小沢仁志さんの『YouTube』チャンネルに哀川さんがゲストでご出演されたじゃないですか。その時に小沢さんが、「哀川さんは20代の頃は全然自分のことを喋らない、寡黙だった。今とは全く違った」というようなことを仰っていて。その動画を経てから昨年末に今回の映画を拝見しましたが、先ほどのルーティンのお話だけでなく、どことなく誠と哀川さんがリンクするようでした。
哀川 そうか。元々はね、人見知りというか他人があまり得意ではなかったんです。業界で何年も活動をしていく中でいろんな知り合いや仲間ができて、やっと打ち解け合えるようになったタイプだったから。最初は知らない人ばかりだったので、どちらかと言うと1人でフッと隅にいるようなタイプでしたよ。だから、おはようございますと声を掛けただけでも「哀川が挨拶したよ!」と言われるくらいの距離感が、最初の頃はあったんです。知らない人の顔は見られないし、喋り掛けられても答えることがほとんどないなっていう感じだったけど、慣れていくうちに場の空気や雰囲気を感じ取れるようになっていって。なるべくなら明るくしたい派だからさ、明るい空気感の中で、そして早く撮影が終われたら良いなと常に思っています。
哀川さんは自然と人を惹きつける引力をお持ちですが、皆さんから“アニキ”と慕われる哀川さんが形成されていった背景には、そういう経緯があったんですね。
哀川 そんな大層なものでもないですよ(笑)。もうちょっと若い頃には相手に対して当たりが強かったこともありましたし。でもそれは、あえてなんです。親しい距離感だからこそ言えるものであって。それを相手も分かってくれるから、文句を言い合いながらもお互いに成長していけた。本音がないと、人付き合いをしていてもつまらないですよね。綺麗事ばかり並べてもしょうがない。大人になると鎧を身に着けて当たり障りのないやり取りになりがちだからこそ、特に若い時はある程度思ったことをぶつけていくことが大事なんじゃないかな。本音が言いづらい風潮もあるだろうけど、いくらか相手に向かっていって、そこでダメならダメで、しょうがないじゃないですか。「周りの人に好かれるにはどうすれば良いか」って相談されたこともありましたが、そんなに大勢の仲間ができる必要はないし、年齢を重ねて最終的には限られた人間たちとだけ付き合っていくわけだから、全員から好かれなくてもいいと思うんですけどね。俺なんかも、今年で芸能活動40年になりますけど、ありがたいことにみんな理解してくれていますから。(哀川は)夜の8時以降は電話してこないだろうとか、晩御飯は夜9時までに誘わないと寝ちゃうぜ、とかね(笑)。別にこちらが偉ぶって注文しているわけじゃなくて、付き合いの中で俺という人間が段々と周りの人間に浸透していくんです。人付き合いは特に、無理をして自分を取り繕うと絶対にどこかでその反動がきてしまいますから。
40周年のお話が出ましたが、2004年には主演100作目を記念した映画『ゼブラーマン』が公開され、その後も映画やドラマと少しも歩みを緩めることなく作品に向かわれています。役に身を投じていく上での意識に、変化などは感じられていますか?
哀川 “考えた芝居”ができなくなった方が良いと思っていて。要するに、芝居ということを意識せずに表現できた時こそが、最高な芝居じゃないかなと思うんですよね。若い時は 作品の性質によるものもあったりするけど 作り込んだ芝居に陥りがちだし、台詞を言っていない時にどういう所作をしているか?といったことも大事なポイントで。正直、表情を作る必要もないと思うんです。まぁでも、写真撮影をする時はやっぱり少し表情は作っちゃうよね(笑)。撮られた写真を見て良いなと感じるのは、ふとした瞬間がすごく良く写っていることだと思うので、芝居に於いてもそこを常に出せられるようになれたら最高じゃないですか。
ご自身の作品や写真でも、過去のものを振り返ることはありますか?
哀川 過去はあまり振り返らないです。過去がどれだけ良くても、その時にできる芝居、その時にできる表情があるわけだから、振り返ったとしても「若かったね」くらいしか思わない。今の自分がどうあるかのみを考えます。
目指していた自分像みたいなものもなかったですか? 将来を思い描いたり。
哀川 なかったですね。今やっていることが最高で、その先はこうありたいとかも考えたことはなかった。なぜか知らないけど、自分の作品を観ながら「最高だな」と思っていましたから。なぜかね(笑)。だけど後悔することも結構多かったですよ。家に帰って相手の芝居を思い出しながら「くそ、やられた」みたいな。ただ、その時の自分が案外評価されたりもするんです。自分の感情と人の評価っていうのは全然違うものなんだと知りましたけど。自分が下した評価を常に自分の中にぶつけていかないと次に進めない、次に戦えないっていう感じはしますよね。
背筋が伸びる想いです。今の哀川さんが一番興味のある、追求したいものというと何でしょうか?
哀川 何だろうな。昨日も釣りに行ってきたんだけど、釣れる時と釣れない時があるのはなぜだろうっていうのは、いつも考えているかな。5時間釣れないのに最後の30分で急に釣れるんです。毎回ですよ、不思議でしょう? 仲間たちを連れて行くんだけど俺だけ全然釣れなくて、最後の30分に怒涛のように釣れ出す。その理由は追求したいよね。
なかなかの難題ですね。何か熱中できることを見つけたいなと思いながら手を付けてこられなかったので、私も哀川さんを習って今年こそは何かトライしようと思います。
哀川 子供の頃にひとかじりしたことをもう1回やってみるといいですよ。あんなことをした、こんなこともした、だけど全部3日坊主だった、みたいなことをピックアップしてみるんです。出だしがあるから案外すんなり入れる。「長続きしなくても手を付けてみろ。そうすると、大人になって何かをやってみようとなった時にゼロではないから入りやすいぜ」っていうのは、俺も自分の子供たちに伝えてきましたから。
ひとかじりって案外良いものなんですね。
哀川 良いと思いますよ。例え3日坊主だとしても何かに興味があるのはすごく良いことで。大人って子供に「どうせ3日坊主になるんだから」とか言うじゃない、でもそこの感情を潰してしまうと大人になってから損をすると俺は考えていて。大抵の人が3日坊主を経験してきているだろうけど、あえてそこにもう一度トライするのは、大人になってからの、ある種の楽しみでもあると思いますよ。
©bouquet garni films
『一月の声に歓びを刻め』
脚本・監督/三島有紀子
出演/前田敦子、カルーセル麻紀、哀川 翔、坂東龍汰、片岡礼子、宇野祥平、原田龍二、松本妃代、とよた真帆
2月9日より〈テアトル新宿〉他にて全国公開
【WEB SITE】
ichikoe.com
INFORMATION OF SHOW AIKAWA
自身がMCを務める『哀川翔のオトナ倶楽部』が〈スポーツライブ+〉他にて放送中。
【WEB SITE】
showaikawa.com
【X】
@AikawaInfo
【YouTube】
www.youtube.com/@SHOWAIKAWA