2021年にリリースされた12thアルバム『LP』から2年、『TOUCH』と、初の全編インストゥルメンタル・アルバム『ZOUNDTRACKS』と、2枚のニュー・アルバムが9月6日にリリースされた。このパンデミック期間、多くのアーティスト、クリエイターが、新たな創作スタイル、環境に移行していったが、TEIの場合、20年前から、軽井沢に居を構え、東京との二拠点生活をおこない、レコーディングもデータのやりとりで進行するという、今では当たり前となったライフスタイル、クリエイティヴ・スタイルを先んじて実践してきた。都市から離れ、人と会わず、最新の流行ではなく、過去の先人のマスターピースからインスピレーションを得て、自己と向き合い、創作する。その佇まいは、まさしく、言葉本来の意味でのアーティストに他ならない。振り返れば、1987年にニューヨークに渡ったのも、音楽ではなくグラフィック・デザインを専攻するため。アートにどっぷりとDIGするためであったのだから、必然と言える。
『TOUCH』は前作『LP』の続編とも言うべき仕上がりで、先行シングルの、故・高橋幸宏と、玉城ティナがヴォーカルの「RADIO」、ヴォーカルに原田郁子、ラップに高木 完を迎えた「EAR CANDY」を含む、全12曲が収録。他、細野晴臣、水原佑果、TAPRIKK SWEEZEE、清水靖晃、ゴンドウトモヒコ、CORNELIUS、森 俊二、TUCKER、カシーフ他が参加した。『ZOUNDTRACKS』は、先行シングルの「AMIKO」、「FRESH!」を含む、全12曲が収録。毎作、キャッチーなアーティストを起用することでもう1つの愉しみであるアートワーク。『TOUCH』はTEIの長年のファンであるSUSUMU KAMIJO、『ZOUNDTRACKS』にはON AIRを起用。インタヴューは、現在のライフスタイルから内面にまで、話が及んだ。
軽井沢に居を構えて、東京とローカルとの二拠点で活動するスタイルをTEIさんは2000年当時にいち早く実践していましたけど、今やそれが当たり前になってきました。あの頃って、データでやり取りして創作するスタイルは、さほど定着してはいなかったかと思うのですが……。
TEI 当時はCMの仕事が多かったんですけど、CMの尺って15秒と30秒だから(データはさほど重くなく、楽観的な見通しで)、2000年の4月に移住して、6月にはADSL回線が開通したのを覚えていますね。
ってことは、データはネットでやりとりして作品作りが完結する創作スタイルは、以降ずっと変わらない訳ですよね。今回のアルバム制作期間はパンデミックと重なる時期もありましたが……。
TEI 「二拠点生活で、ほぼ軽井沢」というライフスタイルは変わらずキープしてきましたけど、コロナ禍以降、各地のイヴェントに赴いてDJをする機会はほぼなくなって。でもそれについては、年齢的にもういいのかなと受け入れた部分もありました。最近は夜中のDJ仕事は基本的にやりたくない気持ちもあって(笑)、そういう意味でも「世の中とのタッチ・ポイントは自分の作品しかないな」という心境ですね。創作活動に関しては、軽井沢移住よりも何より先に、1990年デビューのDeee-Liteで活動する前から在宅ワーカーでしたから。当時は「ベッドルーム・ミュージック」とか言われつつ、世界で何百万枚とか売れちゃうようなスタートでしたけど、パンデミックの前からやっていることはほぼ一緒かなと。
結果的に、ここ数年のパンデミックの状況下でも、大きくは右往左往しなかったという……。
TEI 自慢でも何でもなくて、右往左往するようなことは特になかったと思いますね。ただ、情報の格差社会を痛感して、『TOUCH』の1曲目を「IMMUNITAS」というタイトルにしたのは、ワクチン接種の可否だけじゃなく、入ってくる情報の取捨選択も含めて、まずは「疫を免れる」ことが第一だと。この先、サヴァイヴァルとか、そういう術がますます大事になってくるという意味も込めました。
2枚同時リリースとなった『TOUCH』と『ZOUNDTRACKS』ですが、どんな経緯で作り始めた感じですか?
TEI パンデミックはまだまだ終わらないなっていう最中に、何となく『LP』の続編を作ろうと思って、まずは曲作りを始めて。その途中で、劇伴を担当した〈Netflix〉のアニメ『スーパー・クルックス』の堀 元宣監督に3曲だけお願いされて、オファーのままに作ったんですよ。「すごく動きが速い敵と戦うシーン」とか、お題を与えられたら、何かポンポン曲ができるなと気付いて。頼まれてもないのに、ヒロインの感じをイメージして作ったのが『ZOUNDTRACKS』のオープニング・トラックの「MUSE」です。
その流れで、キャリア初の全編インスト・アルバム『ZOUNDTRACKS』が生まれたと……。
TEI (ヴィジュアルのイメージと紐付けてサクサク曲ができる)この感じ、いいぞと思って、さらに、家電量販店の店先の看板にあるような「爆安!」とか「大出血サービス!」みたいなイメージの曲を作ろうと思い立って。元々のお題が「フレッシュ!」だったから、この曲に紐付けるなら食べ物かなと思って作ったのがアメリカのポピュラーな中華料理からネーミングした10曲目の「CHOP SUEY」です。この曲も、化粧水のCMに使われてもいいし、「蕎麦打ち特集」とか「遺伝子組み換えなう」みたいな番組で使われてもおかしくないと思うし、汎用性はあると思うんですよ。そうやって、イメージを広げてあれこれ作っているうちに、あれ、『TOUCH』とはちょっと違うテイストでもう1枚できちゃいそうだなと。個人的に、2枚組はあまり好きじゃないので、きっちり分けようと考えて。そこで、『TOUCH』と差別化するのは何だろう?と思って、もう1枚を「アルバム全編をインストでまとめよう。ほぼ完成まで独力で作ったものだけを集めよう」というコンセプトにして。ただ、『TOUCH』にも、独力で作ったインスト曲はあるんですよ。そこはバランスで振り分けることにしました。
インスト作りの裏話を伺ってBGMとしてのニーズを考えた時に、地上波のテレビで、TEIさんの曲って結構な頻度で耳にするんです。
TEI あまりテレビは観ないですけど、(テレビで聴いた、曲が流れたと)よく言われますね。使用用途をまとめた資料を見ると圧倒的にテレビが多くて、その次がラジオ。その後が〈Netflix〉とかのサブスクで。分析すると、自分なりにヴィジュアルを浮かべながら作っている曲たちが、あるシーンに合う音を探している人たちのニーズにフィットしているのかなと思いますね。
30年以上、尖ったことをずっとやってきて、マスとかポピュラーとは全く反対のところで音楽を作ってきたTEIさんの楽曲が一番露出しているのが、マスに対して開かれたメディアの地上波テレビであるということが興味深いなと思いました。
TEI それで、実際に僕の曲を選曲している音効さん達への日頃の感謝を込めて、『ZOUNDTRACKS』っていうアルバム・タイトルにして。「BGMとして使えるものなら使って、このアルバム」という想いを込めてのネーミングです(笑)。だから、曲がフィットするシーンをタイトルで提示していて。例えば、「TOURIST RESORT」なら、羽田空港とかで「インバウンドのシーズンになりました。空港には今、海外からたくさんの方が……」みたいなシーンで使ってもいいけど、「いや、そうじゃなくて、もっと違ったシーンで使うよ」っていうのもアリだし。「2BAD」という曲は、当初は「政治家と教祖」というタイトルを付けたんですけど、別に「麻薬王と娼婦」でも良くて。悪そうなテイストの曲を入れることで、このアルバムが聴き心地が良いだけのインスト・アルバムで済まないように、わざとしたんです。この曲をボクシング対プロレスみたいな異種格闘技戦の中継で使っても、緊迫感が出ると思うんですよね。なので、「世界中の音効さんに捧ぐ!」というキャッチ・コピーにして欲しいぐらいで。言うなれば、このアルバムは、70年代によくあった業界向けの「ライブラリー・ミュージック」のTOWA TEI版というか、そんなイメージですね。
僕の中ではTEIさんの新作って、数年に1回くらい発表されるアート作品という位置付けなんですよ。ジャケットも含めて総合的なアートだと思っていますから、サブスクで聴きたくなくて、できれば、アナログ盤で聴きたいと。
TEI 聴かずとも、飾ってくれるだけでも良いんですけど(笑)。誰かの部屋にジャケットを飾ってもらうのが一番の目標で。自分のアルバムのジャケットを自分自身が飾りたいし、飾ってほしい。正直言っちゃうと、自分の今好きなアーティストにジャケットのアートワークを依頼して描いてもらうのが、創作の最大のモチヴェーションで。それにはまず、自分が作品を作らないことには描いてもらえないから、音楽を作っているところも大きいですね(笑)。
結局、デビュー以降ずっと30年以上にわたって、音楽を生業にしようという発想がない訳じゃないですか?
TEI Deee-Liteが世界的に売れてグリーン・カードが取れた当時は、ようやくアメリカでまだやっていけるのかなって思いましたけど、そもそも別に音楽家になりたかった訳じゃなく、こうなったのも結果論なんですよね。そういう意味では、ラッキーな半生かもしれないですね。
最初のキャリアが世界的にブレイクしたDeee-Liteだったので、ややもすると見えづらかったかもしれないですけど、TEIさんって本当に純然たるアーティストなんですよ。
TEI 「アーティスト」っていうのも、自分で言うことじゃないので。
あえて言わせてください!(笑)。
TEI そう人から言われて思うのは、自分の嗜好として、複製芸術が好きなんですよね。レコードも然り、シルクスクリーンも然りで。若い頃にアンディ・ウォーホルに興味を持って、ニュー・ペインティングの括りで言うなら、好きなのはジャン=ミシェル・バスキアだったりキース・ヘリングだったり。現地で惹かれたのはヒップホップやハウスだったりしましたけど、そもそもニューヨークに行ったのは、当時まだ活動中だった彼らの作品に触れるためでしたから。軽井沢に家を建てた後は家にいる時間が長くなって、好きだったバスキアの画集をほぼ全部揃えたりして、アートに触れる時間が増えましたね。思い返すと、2000年前後までは、ドラムン・ベースとかツー・ステップやUKガラージ、エレクトロニカとか、いわゆるトレンドのジャンルに興味を惹くものがあったんですよ。それがもう完全に希薄になって、新しいジャンルとか新しい人から受ける刺激がなくなっていくうちに、好きなアートを見て目から受けた刺激を音に変換するみたいな創作スタイルに変わっていった気がしますね。その節目が2005年の『FLASH』かなと。『FLASH』の制作時に何が大きかったかと言うと、タワー型のパソコンからラップトップに変えたことですね。結果的に、新幹線の中でも曲が作れるようになりましたから。2000年に軽井沢に移って、Sweet Robots Against the Machine(TEIの別名義)の2nd アルバム『TOWA TEI』(2002年)を作った後に、エレクトロニカは肩が凝るし、作るのはもうやめたと思って。さっさと新作を作りたいなと思っていた頃、ふとある時に「ビリビリッ」って音がして振り返ったら、週刊誌の『FLASH』の表紙が目に留まって。読んでいた人が急いで袋とじを開封する時の音だったみたいで。その音にピンと来て『FLASH』を作ったというのは本当の話です(笑)。『FLASH』以降は、「TOWA TEI第2章」というか、ハウス、ヒップホップとかクラブ・ミュージックから離れたいという志向になって、よりノンカテゴリーの、言わばTOWA TEIというジャンルに向かって行った気がしますね。
軽井沢移住後に追求してきたのは、今的な刺激からも離れて、ストイックに自分と向き合っていくということですよね。人に会わずにリアルに目で見た作品から刺激を受けて、インスピレーションを循環させて創作していく。しかも都市じゃなくて森の中で創作に向かうライフスタイルは、完璧なアーティストですよ。
TEI そうですか? じゃ、それで(笑)。
『TOUCH』に関して伺っていきたいのですが、今回は女性ヴォーカルをフィーチャーしたリード・シングルがないですが、これも自然な流れなのでしょうか?
TEI そういうことは、そもそも視野になかったと言うか。アルバム全体を見た時に、2曲目の「EAR CANDY」を最後に作って、長い曲よりも2分半ぐらいの短い曲の中にゲストが何人も出てきたり、ゲストで若い子が入っているのが良いなとか、そういう自分なりのバランス感覚はありますけどね。もし、「EAR CANDY」が収録されていなかったら、アルバムがもっと内省的に響くだろうな。
そうですね。あの曲がなかったら、ガラッと印象が変わりますよね。気になったポイントを挙げると、8曲目の「MY BABY」から続いて「SNOW SLOW」があるので、そこから「AKASAKA」で一気に弾ける流れこそが、TEIさんならではと言いますか。
TEI そこのシークエンス、初めて誉められました(笑)。
「AKASAKA」はグっとくるし(笑)。
TEI 「AKASAKA」はヒットです、自分の中では。
TUCKERさんのオルガンも、すごくグルーヴィで……。
TEI なかなかないですよね、あの感じ? 「AKASAKA」の話をすると、曲の骨格を作った際、この曲何か変だなという印象で、入れるなら『ZOUNDTRACKS』かなとも思ったんだけど、誰をゲストに呼んでどう進めようかと思案した時に、オルガンを弾いてもらうプランでTUCKERくんとスタジオに入って。試行錯誤の果てに「AKASAKA」が仕上がって、もう1曲「BEAUTIFUL」でも弾いてくれない?みたいな形で、彼にオファーをして。4曲目の「O.P.A.」の話をすると、タイトルを考えた時に頭をよぎったことがあって。取材の際に「新しいアーティストだと、誰が興味ありますか?」とかよく訊かれるじゃないですか? 正直言って、誰にも興味ないんですよ。言いたいことは、過去にいっぱい良い曲があるでしょ?ということで。この世にいない人も含めて、いや、この世にいない人が多いんだけど、ジェームス・ブラウンやアレサ・フランクリン然りという感じなんですけど。だから(「O.P.A.」の歌詞で賛美しているような、ある種、英雄的な)先人たちが、レコードにいっぱい良い音を刻んでくれている中で、まだ僕が音楽をやる意味があるの?っていう、そういう自問自答や葛藤はたまにありますね。だからポップ・ミュージックの歌詞について言うなら、誰が好きとか、誰が電話に出てくんないとか、そういうテーマのラヴ・ソングが多いじゃないですか? でもやっぱり自分が作ってきたものって、「Luv Connection」という曲なら、「電話がなくても、テレパシー使えるぜ」というテーマだったり、「RADIO(feat. 高橋幸宏 & 玉城ティナ)」だったら、「今、聴きたい曲を聴かせてよDJ」みたいなメッセージだったりして(男女のストレートなラヴ・ソングではない)。だから、「O.P.A.」は、ある意味で自分にとってのラヴ・ソングなのかな?とも感じていて。前作の『LP』の収録曲のテーマは「レコード偏愛」なんですけど、今回も結局は自分の興味あることイコールLoveってことなのかな。だから、そこはもう無理できないと言うか。山崎さんは「TEIさん作詞の歌モノをもっと聴きたいです」と言ってくれるけれど、こういう素直な歌作りしかできないこちらとしては、「知らんがな」という話で(笑)。
(笑)そのスタンスこそTEIさんです。残りの人生で創作する時間も限られている中で、必然的にだんだん自分の中の余分なものを削ぎ落としていく部分もあるかと思います。それについてはいかがですか?
TEI DJとして一番楽しかったのはニューヨーク時代で変わらないし、もう十分やったなと思って、レギュラーの仕事を一切辞めたのが50歳の時でした。ちょうど今年で10年目なんですけど、そのタイミングで、〈INTERSECT BY LEXUS -TOKYO〉の店内音楽監修の仕事を頂いて、それは今も継続してやっていて。自己肯定する訳じゃないけど、自分の志向が変わっていくにつれて、仕事量も減っていくのは自然なことだし、それはそれで良いじゃないかという想いがありますね。若い時に戻りたいとも全然思わないし、早く死にたいとは思わないけど、長生きしたいとは思わないですよね。加齢に伴って集中できる時間や体力も圧倒的に減ってきていると思うし、すぐ眠くなっちゃうし。でも当然、今まで積み重ねてきたスキルやキャリア、経験値が上がった分、判断が早くなっていますから、「パっとイメージがつかめた曲のスケッチを、今日中に骨格まで形にしておこう」とか、そうした作業が速くなったというメリットもあって。もしかしたら、今回が最初で最後の「2枚同時アルバム発売」なのかもしれないので、前作の『LP』も含めて「コロナ3部作」として世に出せたのは良かったですよね。
やっぱり、アルバム1枚を通して聴きたいです。1曲1曲をピックアップして聴くよりも、アルバムを通して聴いた時に伝わる「作品」として成立していますから。
TEI 1曲単位で楽しむサブスク全盛時代とは言え、12曲で1セットのクラスターとして2023年のTOWA TEIのアルバムなので、時代を反映した『TOUCH』というタイトル通り、このアルバムと濃厚接触していただければ(笑)。
『TOUCH』
『ZOUNDTRACKS』
発売中
〈日本コロムビア〉
INFORMATION OF TOWA TEI
10月21日に〈京都メトロ〉にて、『TTTB -TOWA TEI『TOUCH』Release Party-』の開催が決定!詳細は huginc.net/events/towateiまで。
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