CULTURE

「自己防衛することが攻撃に繋がる怖さを感じました」と映画『福田村事件』で新聞記者を演じた木竜麻生は語る

AUG. 28 2023, 11:00AM

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撮影 / 中田昌志
スタイリング / TAKAFUMI KAWASAKI
ヘア&メイクアップ / RYO
文 / 堂前 茜

関東大震災が発生してから5日後の9月6日、千葉県の福田村に住む100人以上の村人と自警団の手によって、香川から訪れていた薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された——100もの間、歴史の闇に葬られていたこの「福田村事件」を映画化したのが、これまで多くのドキュメンタリー作品を手掛けてきた森 達也監督による映画『福田村事件』である。

 

震災という大混乱に乗じて「朝鮮人が襲ってくる」、「朝鮮人が略奪や放火をしている」といった情報をマスコミや警察が広めた結果、疑心暗鬼になる人々がいる一方で、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦 新)や妻の静子(田中麗奈)、地元の新聞社で記者として働く恩田 楓(木竜麻生)など、情報に惑わされない人間もいた。村長の田向龍一(豊原功補)も、どうにか村人の気持ちをなだめようとしていた。しかし、村人と行商団の沼部新助(永山瑛太)とのちょっとした口論から、恐怖に陥った群衆は次第に錯乱状態となり、誰にも止められない恐ろしい渦が生まれてしまう。

 

木竜が演じた恩田は、情報の真偽を確かめるべく奮闘。大きな流れ、大きな力、大きな声には逆らわない人が多い中でも、自らの信念を貫こうとした。ともすれば、正義や正論を振りかざす人間は嫌厭されがちだが、木竜には胸に秘めたある考え、ある想いがあったからか、決して振りかざしても偉そうにも見えなかった。事実に基づいた作品を多くの人が観るためには、事実をいかに正確に伝えるか?に加えて、観る人間が素直に受け取れるような心的配慮が時に必要だと思う。でないと反発の気持ちが生まれてしまうこともあるからだ。監督やスタッフはもちろん、役者が十二分なまでに思考や想いを巡らせてこの作品に挑んだ。それがしかと伝わる映画だった。

 

手の届かない人も近くにいる人も横にいる人も、決して敵として認定してはいけないなということ

バァフ 完成した映画をどうご覧になりましたか?

木竜 自分が関わっていることを抜きにしても、きちんと史実に基づきつつ、出てくる人たちの人間性やストーリー性までしっかり表現していてすごいなぁと思いましたし、実際の取材記事などを読んで知ることとは違う受け取り方が映画だからこそあった気がします。

バァフ 強烈なシーンもあったし絶望を感じてしまうくだりもありましたが、全編を通して観た中で、木竜さんが演じた恩田の表情で強く印象に残る場面がいくつかあって。例えばある少女が理不尽にも惨殺されてしまった時の、怯えと怖さと悲しさと怒りが入り混じった驚いた顔や、恐ろしい出来事があり皆が呆然とする中、恩田だけが村長に話を聞きに行く毅然とした姿だったり。

木竜 ありがとうございます、すごく嬉しいです。

バァフ この映画は訴えるものがあり過ぎて、インタヴューというより感想を喋り倒してしまいそうです(笑)。

木竜 嬉しいです。映画に出る側としては、観た人がどう受け取ったかはとても気になりますが、この作品はそれが他の作品より強いように思います。新聞記者の役だったのもありますが、情報の受け取り方は本当に人それぞれだと思うので。映画に関わった者、渡す側だからこそ、皆さんがどう受け取られたのか余計に知りたいから、感想を聞けるのは本当に有意義です。

バァフ 感想というか、デマの怖さは本当に恐ろしいなと思いましたし、時代が時代なら、私は非国民だと言われて殺されている気がしました(笑)。そんな風に、自分事としてというか、他人事ではなく私は拝見したのですが、木竜さんは最初に脚本をどう読まれましたか?

木竜 そうですね。被害者、加害者で分けるわけではないですけど、脚本の段階では正直、結果的に被害者になってしまった行商団の人たちに想いを馳せてしまったところはありました。だけど今おっしゃられたような、集団であることの怖さ、人の考え方の違いがこんなにも大きな問題になってしまうことについても考えました。恩田のセリフに、「朝鮮人にはいい人もいれば悪い人もいる」とあります。それは日本人も同じことで、行商団の人たちの朝鮮人に対する認識もバラバラだったじゃないですか。村人の緊迫度、守りたいものの優先順位も違う。だけど大勢が集まったことで、とんでもない方向に進んでしまった。1人では抱えきれないものがあって、1人で立つことはできないから、誰かと出会ったり誰かとコミットしていく、そのこと自体に問題はないのに……。映画を観てもなお、加害になってしまった側の人たちを私たちは絶対に全否定はできないし、全肯定もできない。だから考えなきゃいけないし、こういう出来事があったのをまず知らなきゃいけないと思いました。実際にあったお話をやる時、大前提として私は、この人たちの気持ちにはなれない、ということからスタートしなければならないとも思いました。

バァフ 瑛太さんが演じる行商の団長が「俺らみたいな者は弱い者から銭を取らなきゃ生きていけないんだ」というようなことを言っていて。それって今の時代も変わらないなと思いつつ、毎日をどう生きるか?と自分たちのことで精一杯になってしまうのは致し方ありません。だけど一方で、金銭的にも精神的にも余裕があるからこそ、社会の大きな問題や弱い人について想像することができる人もいるわけで。いろんなレイヤーがあるので一概には言えませんが、服装からしても、恩田はどちらかというと後者なのかなと思いました。描かれていない恩田の背景をどう掘り下げていかれましたか?

木竜 彼女の役割は、観ている方に解説するような部分もあるので説明的なセリフも多いのですが、彼女の真っすぐさや危うさも同時に表していて。あの時代にああいった男性社会の中に女性が混じり、時に男性に指示を出すこともあった。衣装部の方とお話をしている時、「動きやすいようにブーツはこういったものにしようと思うんだよね」と聞いたりしてちょっとずつ色々なところから参考にさせてもらったところもあるのですが、彼女は武装する必要があったのかなと思いました。戦いに行くくらいの感覚で職場や現場に行っているのかなって。

バァフ 基本的に心の武装もしているからか、彼女の柔らかい表情って少ないんですよね。

木竜 だから言ってくださったような何とも言えない表情の方が多いかもしれません。彼女だって、どうしたらいいか分からなかったり、心が整理できないようなダメージを受けてはいるのですが、自分は新聞記者でやるべきことがあるんだという気持ちが強くあるので、他の人より少し強く見えたのかなとも思います。だけど彼女だけでなく、この映画に出ている人たちはみんな、やるせなさや悲しさを孕んでいるとも思います。

バァフ ピエール瀧さん演じる上司に立ち向かう場面。例えば「記者が目撃した事実より内務省の電文を信じるんですか?」と言うところでもそうですが、彼女は一貫して正義感が強く、理不尽なことには立ち向かいます。で、そういった役割を持つ人って、一歩違えば反感を食らってしまう。海外のドラマや映画を観ていて、「なんでこの女性記者、こんなに偉そうなんだろう?」と思ってしまうことがあったのですが(笑)、木竜さんがやると正論を吐いてもそういった印象を受けないんですよね。言葉という武器を持っている強みは感じますけど。

木竜 嬉しいです。いろんなことに優劣を付けられる時代に彼女は生きていて。ピエールさんが恩田のことをモガと呼びますが、嫌味を言われることも日常茶飯事だったと思います。だけどそんな人を相手にしている場合ではないと思えるくらい、彼女は自分の仕事にやりがいを感じていて。上司に歯向かうことに躊躇いはないんです。だけどさっきおっしゃったような正論を言う時……正論って時にすごく暴力的だなって思うんです。立場的にも正論を吐いてしまうところに彼女はいるし、正論は簡単に言えるけど、想像も付かないくらい誰かを傷付けていたりもするかもしれない、とは感じていました。そう感じる気持ちが伴っていればいいわけでは決してないですが、「あくまで私の1つの考えです」という感覚で話せたらいいなとは思っていました。「絶対にこうでしょ?」と押し付けるのではなくて、「私はこう思います。それについてどう思いますか?」というスタンス……今、話していて思ったのは、恩田は多分、話がしたかったような気がしますね。同じ新聞社の人や周りの人と、この現状に対してどう思っているのか? これは違うと思いますがどうでしょう?など、言い争いではなく、討論をしたかった。お互いの意見を受容しながら話をしたいと思っていたのかもしれません。村長にお話を聞かせてくださいと言ったのも、断罪をする気はなく、起こったことをきちんと聞かせてほしい。明らかにすることによって次は避けられることがあるかもしれない。ちょっとずつ手がかりを集めることによって——自分ができることはあまりに少ない、無力だけど——新聞記者として記事を書いて載せることができる、その力を信じていたと思います。演じながらも常に気持ちをそうやって奮い立たせていたかもしれません。

バァフ 対話することがいかに大事であるか——という話でもありますが、この映画においては「対話さえできない異常な状況」が生まれてしまいます。先ほどから出ていた、集団の怖さですよね。村八分になるのを恐れ、それぞれの弱さをもって他人を攻撃する。しかもそのベースにあるのは、「日本人はあれだけ朝鮮人をいじめてきたからやり返されるに違いない」というものです。要はどれだけ酷いことをしてきたか、国民にも自覚があるんですよね。攻撃される前に攻撃するって本当に酷い話ですが、その構図について木竜さんはどう考えますか?

木竜 おっしゃったことと重なってしまうのですが、自己防衛することが攻撃に繋がる怖さをすごく感じました。攻撃した事実の背景には、自分や家族を守りたいというやむを得ない事情があったかもしれなくて、村の人たちも根っからの悪い人ではなかったんじゃないかなとは思うんです。悪い人がいる集団なわけではないのに結果としてとても凶悪なこと、残酷なことをしてしまった。1人ひとりをちゃんと描いているからそう思えるのですが、弱さがある人こそ、優しくもなれるけど、恐ろしくもなれる。そういったことなのかなと……。それを今の時代に照らし合わせてみて怖いなと思うのは、SNSなどでは匿名性があって明らかにならない部分があるので、さらに一歩踏み出せてしまう気がしていて。全然関係のない人が勝手に他人を断罪してしまうっていう。

バァフ 匿名の人たちが寄ってたかって竹槍(言葉)で特定の人を総攻撃するようなものですよね。

木竜 はい。で、人同士でやっていることの枠をどんどん広げたら、これって戦争じゃない?って。この作品を一度観ただけでそこまで考察するのは、あまりにショッキングな出来事を描いているからこそ、余計に難しいかもしれないですが、冷静に自分の中で受けて取っておくと、後からでもそういうふうに自分たち事にしていけるような気がします。単純にショックで、やり場のない感覚になるかもしれませんが、やり場のなさの先に、考えた方がいいことなど、色々とあると思うので。そこまで想いを馳せてもらえたら、映画にした意味があるなと思っていたのですが、こうやって感想を言い合ったりするだけでも、より深く自分に浸透する気がします。

バァフ やり場のない想いを抱えて終わりではなく、では自分は何ができるのだろう?と考えると、まずは自分の持ち場で頑張るしかない。恩田のように、社会に横たわる大きな問題に対して声を上げるとか、少しでもできることはあると思うのですが、目の前のことで一杯いっぱいになってしまうのが現実で。木竜さんはこの仕事を通してそういったことを考えますか?

木竜 こういうお仕事をやっていることで、たくさんの人に映画を観てもらえて、何かを感じてもらえたりもするのですが、それでも、自分の手の届く範囲の人のことしか考えられない、自分のこともままならないのに、という気持ちがあって……。だけどそこも踏まえて思ったのは、手の届かない人も近くにいる人も横にいる人も、決して敵として認定してはいけないなということで。以前、『菊とギロチン』という作品に出せてもらったのですが、東出昌大さん演じる中濱 鐵の「隣にいる奴は敵じゃないぞ」というセリフすごく好きなんです。そんなに敵味方と二分化にする必要がない気がする……。白黒を付けるべきことはたくさんあるけれど、もう少し時間をかけてから白黒を付けてもいいのかもしれないし。ただ、いろんなことをすぐにはっきりさせないでズルズルとやってきた先にそれはそれで抱える問題があると思うので……受け取る側も含めて、決めなきゃいけない時に自分で決めるということ、自分で選ぶことがすごく大事なんじゃないかなとも思います。難しいことだし大変なことではあるけど、結果として自分のためになるとも思いますし。私は、自分で責任が取れない時の方が苦しい時間が続くんです。例えば、誰かにやれと言われたからやった結果駄目だった時、人のせいにしていると自分の中で消化できないものが残ってしまうんです。だからなるべく自分で決めます。その代わり責任も私が持つというか、自分が背負うものは背負う。責任を持ったり荷物を背負ったりする方が、ちょっと重しがあるくらいの方が、実は歩きやすかったりするなと思うので。

バァフ 敵とはみなしたくないけれど、例えばニュースを見ていたりして政治家だったりに対してつい口から怒りが出てしまうようなことも多い日々ですが……。

木竜 (笑)私も、その瞬間に感じたことをすぐ口に出したいんですが。私は、誰かのことは傷付けないけど、誰かのことを自分にも入れさせないところがあったりするんです。そっちにも入り込まないし危害を加えませんよということをやりがちで。防御線を張ってしまう。だけど年齢を重ねていくと、自分のこの防御が、実は誰かを傷付けていたり寂しい想いをさせていたりやるせない気持ちにさせていることがあるんだと感じた時、自分を守ることは大事だけど、守った末に誰かを傷付けていたら自分がまた傷付く、そんな循環が生まれてしまうなと思ったんです。(心を)開こうと思って開くと苦しくなりすぎちゃうので、段階的にいろんなことをトライしているところです(笑)。

バァフ 木竜さんのそういった考え方は、お芝居にも滲み出ているような気がします。自分が自分がっていうよりも、一歩下がったくらいの感じがある。他の女優さんと被らない道を進まれているなぁと思います。

木竜 ありがとうございます。頑固なところがあるのかもしれません。誰かのようになりたいと思っても苦しくなってできないですし。自分も何かにならなきゃ、もっとやらなきゃいけないんじゃないかと焦っていた時期もあります。周りにいる俳優さんも女優さんも、ハングリー精神がすごくあって。もちろん自分にも欲はありますが、ハングリー精神みたいなものとは少し違っているのかもと思って。だけどありがたいことに、いろんなご縁や出会いがあり、こういうお仕事を今もさせてもらっています。見たことがない自分に出会えるし、遠くに行けそうな感じがすごく好きなんです。人と比べるのではなく、昨日の自分に負けるなよ、くらいの気持ちでやっていければと思います。

『福田村事件』

監督/森 達也 出演/井浦 新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里祐香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本 明、他

9月1日より〈テアトル新宿〉、〈ユーロスペース〉他、全国公開

©「福田村事件」プロジェクト2023

 

【WEB SITE】

www.fukudamura1923.jp

INFORMATION OF MAI KIRYU

 

【WEB SITE】

monopolize2008.com/profile/kiryu.html

【Instagram】

@kiryumai_official

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