「自己防衛することが攻撃に繋がる怖さを感じました」と映画『福田村事件』で新聞記者を演じた木竜麻生は語る
関東大震災が発生してから5日後の9月6日、千葉県の福田村に住む100人以上の村人と自警団の手によって、香川から訪れていた薬売りの行商団15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が殺された——約100年もの間、歴史の闇に葬られていたこの「福田村事件」を映画化したのが、これまで多くのドキュメンタリー作品を手掛けてきた森 達也監督による映画『福田村事件』である。
震災という大混乱に乗じて「朝鮮人が襲ってくる」、「朝鮮人が略奪や放火をしている」といった情報をマスコミや警察が広めた結果、疑心暗鬼になる人々がいる一方で、朝鮮で日本軍による虐殺事件を目撃した澤田智一(井浦 新)や妻の静子(田中麗奈)、地元の新聞社で記者として働く恩田 楓(木竜麻生)など、情報に惑わされない人間もいた。村長の田向龍一(豊原功補)も、どうにか村人の気持ちをなだめようとしていた。しかし、村人と行商団の沼部新助(永山瑛太)とのちょっとした口論から、恐怖に陥った群衆は次第に錯乱状態となり、誰にも止められない恐ろしい渦が生まれてしまう。
木竜が演じた恩田は、情報の真偽を確かめるべく奮闘。大きな流れ、大きな力、大きな声には逆らわない人が多い中でも、自らの信念を貫こうとした。ともすれば、正義や正論を振りかざす人間は嫌厭されがちだが、木竜には胸に秘めたある考え、ある想いがあったからか、決して振りかざしても偉そうにも見えなかった。事実に基づいた作品を多くの人が観るためには、事実をいかに正確に伝えるか?に加えて、観る人間が素直に受け取れるような心的配慮が時に必要だと思う。でないと反発の気持ちが生まれてしまうこともあるからだ。監督やスタッフはもちろん、役者が十二分なまでに思考や想いを巡らせてこの作品に挑んだ。それがしかと伝わる映画だった。