ロボットに労働を託した人間の顛末とは――舞台『ロボット』出演の朝夏まなとが考える、人間らしい生き方
チェコの国民的作家・劇作家のカレル・チャペックが発表した戯曲『ロボット』を、ノゾエ征爾の潤色・演出で上演する。チャペックは、労働を意味するチェコ語のrobota(ロボタ)から「ロボット」という言葉を新たに生み出したと言われており、本作の舞台は、ロボットと人間の共存が始まりつつある現代。ロボットの進化と共に労働から解放された人間たちが、ロボットの反乱によって撲滅の危機に瀕するというストーリーには、そう遠くはないであろう我々の未来を想像してしまい、ヒヤリとした気持ちが湧き上がる。
作品のテーマに「私も身につまされました」と話すのは、社長令嬢で人権同盟の代表・ヘレナを演じる朝夏まなと。ロボットを単なる労働の道具にするのではなく、人間と同じように心を与え敬うべきだと、ロボットの地位向上を訴える人物だ。ヘレナが投げかける疑問には、人間の人間たる所以や価値を見つめ直す問いが込められており、どれだけテクノロジーが発展しようとも人間らしさは失わずにいたいというギリギリの抵抗心を掻き立てられる。終演後に観客は、一体何を想うだろうか。
ヴィジュアル撮影から5ヵ月ほど空いた10月、稽古前の朝夏に再び会い、話を訊いた。