初夏。それは、目に映るものすべてが瑞々しく、肯定的で楽天的な感覚に包まれる季節。いつしか季節が変わり、いつまでも初夏に留まることはできないことを、ビターな現実認識と共に知った。が、カジヒデキは、ニュー・アルバム『BEING PURE AT HEART〜ありのままでいいんじゃない』で、いつまでも、そこにいることができることを、ソングライティングの魔法で証明した。大事なのは、「視点」であるということ。70歳でも、キュンとする青春映画を撮ることができる映画監督のように、カジヒデキは、ありのままでいようとする。それは、強い意志がないとできないこと。これからの季節、この1枚を浴びて外に出てみたい。もう一度。
コロナ禍を経て5年ぶりのリリースとなります。制作を始めた頃はソウルフルなテイストの曲だったんですよね。
カジ そうですね。『GOTH ROMANCE』を2019年に出して、翌年にはアルバム用にデモを作り始めていて。制作を始めた最初の頃は、なんとなく気分的にはネオ・ソウルのような気持ちがありました。アーティストの感じがすごく良いなと思っていたので、そういうものを書こうと思っていたし、その頃書いた「Dreams Never End / ドリームズ・ネヴァー・エンド」や、「Naked Coffee Affogato / 裸のコーヒー・アフォガート」や、オレンジ・ジュースのかなりソウルなアルバムの感じを取り入れたら、自分の中での新しさがあるかな?と思って。
それが、どのような流れで、完成されたサウンドの方向性が固まっていったのですか?
カジ アルバムを見据えて、シングルを出し始めていたんですけど、実際はコロナ禍だったということもあり、簡単に曲ができるような感じでもなくて。
物理的にできなかったですもんね。
カジ はい。この2曲に関してはスタジオに入らないで全部リモートで、それぞれの家でレコーディングをしていました。それ以降はスタジオにも入って作り始めたんですけど。
それはいつ頃ですか?
カジ 2021年の秋か暮れくらいですね。「Claire’s Knee /クレールの膝」はバンドで録ったので、2021年の終わりにはスタジオには入るようになっていたんです。でもコロナ禍のあの空気が、精神的な重みとなって制作に影響していて。
みなさんそうでしたよね。
カジ なんとなく曲はできたりはするんですけど、納得のいくところまでは辿り着かなかったですし。堀江(博久)くんに、前作の流れから共同プロデューサーとして入ってもらって、いろんなことをプロデュースしてもらっていて。ライヴもそうだし、それこそ日々の生活に関しても色々話し合いました。デモももちろん聴いてくれるんですけど、ダメ出しが多かったんですよ(笑)。
(苦笑)キビしい。
カジ 「Dreams Never End / ドリームズ・ネヴァー・エンド」を作った2021年の春の時点でもう10曲はできていたのですが、かなりボツになりましたから。生き残ったのが「Walkin’ After Dinner / 手をつないで歩こう」なんですけど、この曲はコロナ禍に入った頃に作っていて。今回最後の方にレコーディングしたんですよ。「良い曲が確かデモにあったよね」と思い出して引っ張ってきて。
何が堀江さんのボツになるラインだったんでしょう?
カジ 「ちょっとありきたりかな」、「これは別にやっても面白くないんじゃないか」など(笑)。歌詞も同時に書いて渡しているので、歌詞のハマりが良くなかったというものもありました。
でもコロナ禍では、ほとんどのソングライターの方がなかなかしっくりきていなかったですよ。アッパーになってはいけないんじゃないか?みたいな空気もあったりして。
カジ そうですね。だからその中で、客観的な視点をくれた堀江くんの力は大きいですね。
そこからどんな感じで見えてきたんですか?
カジ 一昨年くらいに2本ドキュメンタリー映画を観る機会があって。1本は80年代のグラスゴーのインディー・バンドをテーマにしたドキュメンタリー映画『ティーンエイジ・スーパースターズ』で、もう1本は〈サラ・レコーズ〉のドキュメンタリー映画『マイ・シークレット・ワールド』だったんですけど。
そこからなんですね。
カジ それを観た時に、自分の音楽的なルーツというか、10代後半や20代前半の感じをすごく思い出しました。ネオアコというかギター・ポップの、短い長さでシンプルにものを伝える潔さが良いなと思ってできたのが「Being Pure At Heart / ありのままでいいんじゃない」で。
シングル曲以外だと、1曲目にこの曲ができたんですね。
カジ そうです。この曲がアルバムの核になると感じて、その後、残りの曲も続々とできあがっていきました。
今挙がった2本の映画はドキュメンタリーということもあり、今観ると、当時のことを客観的に観れますね。
カジ あの映画でのグラスゴーの人たちは、すごくローカルで、みんな幼馴染みだったり。そんなところから世界に羽ばたいて行ったということまでは知りませんでした。
まさにスモール・サークルですよね。
カジ 本当にそう。みんな仲間。出ていった人もいるけど、帰った人もちゃんと受け入れていたり、みんなピュアな気持ちを持って音楽に接していたり。そういうところに胸を打たれました。
それこそ30年前は、そうだったわけじゃないですか?
カジ そうですね。本当にシンクロするというか。あの映画を観ると「あの頃だな」という感じがすごくして。そこからアルバムとしてまとめられた感じがありますね。
この「Being Pure At Heart / ありのままでいいんじゃない」は、辛口の堀江さんも「良いじゃん!」となったんじゃないですか?
カジ そうですね(笑)。でも堀江くんにはずっと尻を叩かれながらやっていましたね。最終的に「すごく良いものができた」と言ってくれたので良かったです。
この年になってくると厳しいことを言ってくれることがありがたいですよね。
カジ 本当にありがたい存在ですね。クオリティの高いものを作りたいと強く思うけど、自分1人だと甘くなってしまう部分がどうしてもあるので。
それはみなさんそうですよね。
カジ だから『GOTH ROMANCE』で初めて堀江くんとガッチリ共にできて良かったです。
お2人のタッグが初めてだったのが意外でした!
カジ 曲単位で堀江くんにプロデュースしてもらうことはあったし、ドッツ&ボーダーズというのもありますが、それとも違う(笑)。堀江くんはすごく、言ってしまえば僕と真逆の人で。細かいところまで気が付くし、計画性があるんです。僕は全然そういうタイプじゃなくて。
それはアーティストとプロデューサーという関係性でもあるんじゃないですか? 役割というか。
カジ そう言ってもらえるとありがたいです(笑)。曲のダメ出しもそうですが、歌詞についても細かく言ってくれたりするので1つひとつのことに納得がいくんです。それこそ最後のマスタリングも、スウェーデンのザ・モーペッズというバンドのデヴィット・カールソンというベーシストにお願いしたんですけど、彼にお願いしようというアイデアは堀江くんが出してくれて。実際すごくまとまったというか、良いマイルドさが出たと感じています。
スウェーデン・サウンドのあのマイルドさって他と違うんですよね。今回聴いていても思いました。
カジ スウェーデンの人ならではなものもあるかもしれないし、スタジオだとかの外的要因かもしれないですけど、すごく良かったですよね。
それこそ原点じゃないですか。
カジ そうですね。こだわっていきたいところでした。今回マスタリングを一緒にできたのも良かったです。
「Being Pure At Heart / ありのままでいいんじゃない」もそうですが、今この“ボーイ・ミーツ・ガール”の歌詞により深みを感じるんですよ。年月というか、「もう一度そういうピュアなハートでいいんじゃないか?」ということさえも感じちゃって。それは意識していますか?
カジ もちろん昔書いた歌詞でも、創作はあります。若い頃ほど、割とリアルなことを入れるようなところもあったかな? でも堀江くんと一緒にやるようになって、いつも言われているのは、50代として50代の歌詞を書くということ。だからといって50代のヨボヨボした歌詞を書いたって誰も喜ばないし、ずっと青春にこだわってやってきたから、そこは失いたくないと思っています。70歳、80歳だって青春映画を撮っている監督は、ずっとそういう作品を作るわけですしね。「良い小説家は80歳だってキラキラとした青春の風景を描けるんだから、カジくんは絶対そうしなきゃいけない。そうするのが良いんじゃないか」と何度も言ってくれて。だからそういう視点を忘れず書くようにしています。書き出す時はいつもどうしたら良いかなと思っているんですよね。監督になりきれないというか。そういうところは堀江くんに背中を押してもらい、書き上げています。
青春映画を撮る人は、いくつになってもあの頃のキラキラした感じを思い浮かばせる映画を撮りますもんね。
カジ ポップ・ミュージックもそういう世界観が好きで聴いているんです。10代でも、60歳、70歳のアーティストが歌っていても、好きだから聴いているので、自分もそうすれば良いんだと思うんですよね。
年齢じゃなくてワクワク感とかときめき感とか、それを持っているかどうかの方が大事なはずなので。
カジ 逆に若くしてドロドロした世界を描けるのもすごいなと思います。
歌詞にもありますが、僕はカジヒデキというソングライターの魅力はやっぱり初夏! いつ聴いても初夏の質感を感じさせるマジックを持つ方だと思います。
カジ 嬉しいです。初夏のイメージがすごく好きというか、言ってみれば、ネオアコ自体もそこなんだなとすごく思います。僕の中で初夏のさらに良き思い出が、初めてスウェーデンに行った時だったんです。95年の6月の終わりくらいから7月の中旬くらいまでいたのですが、その時見た景色や、会った人たちの思い出があまりにも良すぎて忘れられないというか。あのワクワクする感じをいつも描きたいなという想いがありますね。
当然季節は変わってしまうけど、そこにずっと留まっていたいという想いというか。カジヒデキというソングライターが、初夏の感覚の歌を書くことに「ずっと、ここに僕はいたいよ」という意思を感じるんですよね。
カジ まさにそうだと思います。「Naked Coffee Affogato / 裸のコーヒー・アフォガート」でも、夏は絶対に終わってしまうけど、僕らはずっと夏の中にいるんじゃないかという空気があって。ただ気温が変わるだけで、気持ちはずっとそこにいるよと伝えられたらと思っていました。
初夏イコール全てが瑞々しく見え、肯定的で楽天的な感覚ですよね。50年以上生きていると、うまくいかなかったことも多いじゃないですか。
カジ そうですね。
「それでもうまくいくよ」という意思があるというか。
カジ その楽天さがポップ・ミュージックだなという感じもすごくするし。
歌詞もメロディと一緒に出てきますか?
カジ 実際はそうでもないですけど、堀江くんには歌詞も込みでデモを出さないといけなくて(笑)。歌詞との相性もありますからね。イメージが湧かないと思うので、曲ができたらなるべく早く歌詞を書くようになりました。というか、歌詞を書かないと提出できない。提出って宿題みたいだ(笑)。
(笑)カジさんの歌詞は、深読みしてジーンとしてしまうんですよ。例えば「Looking For A Girl Like You / ガール・ライク・ユー」の〈ロマンチックは隅に追いやられて泣いてた〉という歌詞。これは情景かもしれないですが、「そんなロマンチックな感覚って甘いよね」っていう今の時代のことかな?と勝手に感じちゃって。
カジ まさにその通りです。自分の中でもいろんなことが追いやられているなと思います。それをうまく歌詞の中に入れていけたらなと考えていますね。
やはり意識されていることだったんですね。
カジ 自分が経験したすごく楽しかった感覚も、こうやって年齢を重ねると、当たり前ですがオールド・ウェイヴに感じるんです。確かに自分が20代の頃は、30代くらいのアーティストなんてすごくおっさんに見えていたなと思い出したりして(笑)。
ドント・トラスト・オーヴァー・サーティじゃないですけど(笑)。
カジ 本当にそう(笑)。やっぱり50歳を超えると、自分の感覚はその時と変わらなくても、明らかに違うじゃないですか。ものすごく自分はオールド・ウェイヴだなと。でも自分が信じてきたすごく良い世界、キラキラとしたものを今でも大切にしたくて。そういうものとか場所が、この先もずっと続いてほしいなって気持ちはずっと持ち続けているので。〈はしゃいだ夏が終わろうとしても 僕らは踊り続けよう〉という「Naked Coffee Affogato / 裸のコーヒー・アフォガート」の最後の歌詞もそうですけど。
その感覚こそ、20代の子たちと共有できるものなんじゃないか?と。
カジ 今でも僕は夢見る夢子ちゃんなんですけど(笑)。本当に自分の好きな世界の中で生きている自分がいて。好きなもの、大きく言えば『Olive』的な感覚なんですけど。映画も音楽も、ああいうガーリーなものが今でも好きで。表現をする時に もちろん世の中辛いことも悲しいこともたくさんあるけど、自分が創り出している音楽の世界だけは好きな世界で埋め尽くしていたいというか。ライヴにしても、お客さんがその世界の中で楽しんでもらえたらいいなって。また現実に戻れば、いろんなことがそれぞれあるし、自分だってもちろんそうなんだけど。音楽ってそういうものかなと。フィクションでいいんじゃないかなと思います。
『BEING PURE AT HEART〜ありのままでいいんじゃない』
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〈BLUE BOYS CLUB / AWDR/LR2〉
INFORMATION OF HIDEKI KAJI
5月12日〈下北沢 Flowers Loft〉にて『BLUE BOYS CLUB~HIDEKI HAPPY BIRTHDAY&NEW ALBUM RELEASE SPAECIAL!!~』が開催。7月12日〈
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